思うことは、いつも(side鍵)

目当ての場所は鮮やかに色づいた紅葉を踏みしめ、豊かに成った稲穂をかき分けた先にある、菊の花の匂いに満ちた部屋だった。
硬質な地面の所々が水に濡れ、より一層花の匂いが強く香っているように感じられる。その、五感を鈍らせるような香りの中、鍵と白は悪意を持つ気を四方から感じ取っていた。

「坊、お気をつけなさい。その部屋は何だか様子がおかしい……」

硬くなった声に七代が一つ頷く。その頭上を飛行している白が、主を護るように前へと進み出た。七代の足が部屋の中央へと進められたその時、地響きに似た振動と轟音が響き渡り、鍵の意識が無理矢理七代の元から引き剥がされる。

「坊!」

今までに感じたことのないような力の動きを感じ、鍵の背筋を冷たいものが這い登った。これまで何度も七代に意識を添わせてきたが、こんな風に弾き飛ばされたのは初めてだ。音高く舌打ちを漏らし、鍵は己の意識を七代へと向ける。流石に異変に気づいたのか、鈴の気配が跳ね上がるのを感じたが、それに構っている余裕はなかった。

「千さん!」

名を呼んで、地脈と大気から七代の気を捉え、己の意識を飛ばす。暴れまわるような力のうねりの影響を受けて、鍵の視界が二重、三重にぶれたが、それでも視界の端に一番星のように輝くものを見つけ、そこを一直線に目指した。
鍵を導いたものは、七代の眼だった。真っ直ぐに前を見つめているその姿を見つけて、安堵の息が漏れそうになる。しかし、すぐに男はそれを飲み込んだ。
自分の意識が七代から離れた数十秒の間に、部屋の様子は様変わりしていた。
七代を取り囲むようにして、数多の穏人がひしめき合っている。青年の頭上で白札が忌々しそうに歯軋りをするのが分かった。彼女もこの状況に焦りを感じている。
七代は素早く辺りを見回して、懐に収めている札を確認すると、口の中で何かを呟きながら、札に描かれている柄を眺め口元に当てる。小さく息を吹きかけて、彼はそれを地面へと投げた。
まるで意思を持っているかのように、真っ直ぐに札が、呪言花札が飛んでいく。蠢く穏人達の隙間に、まるで貼り付くように落下した札が眩い光を放った瞬間、耳を劈くような断末魔の悲鳴が大気を切り裂いた。

「千さん! お怪我はないですか?」
「うん、鍵さんこそ大丈夫?」

札配置でその秘められた力を解き放ち、一定数の穏人を消滅させた七代に声をかける。その間に、まだかなりの数残っている異形達から距離を取る青年の気の流れを探った。――大丈夫だ。怪我はしていない。

「面目ない。地脈の流れが酷くなってやすね。弾き飛ばされちまいやした」
「其方ら、呑気に話をしている場合ではなかろう!」

白の叱責が飛ぶのと同時に、別の札を七代が投げる。
地面に貼り付いた途端に光を放つその中心に、七代がその身を躍らせた。カミフダの力を注ぐことで変化させた長巻で穏人の体を薙ぎ払い、また距離を置く。
そして弱ったところを射撃武器で狙い撃ちし、距離を取りながら七代は一体一体、確実に穏人を仕留めていく。
そうして粗方の穏人を片づけ、流石に体力を使い果たした七代が全身から力を抜いた瞬間――。

「坊!」

彼の背後でいきなり膨れ上がった力に、鍵が鋭く青年を呼んだ。
反射的に振り返った七代が、咄嗟に両手で己を庇う。けれどそれよりも早く穏人の攻撃が襲ったらしく、鈍い悲鳴と共に青年の上半身が震え、その場に崩れ落ちた。

「千馗!」
白の悲鳴に鍵の心臓が大きく震える。七代の気の流れを読むが、傷自体は大きくない。けれど――。
「千さん! 貴方、眼が!」
鍵の叫びに、白が七代へと寄り添う。ふらつきながらも立ち上がった七代は、片手で己の顔を押さえている。しかし――指の間から覗く瞳は輝きを失い、焦点が合っていないようだった。
 ――やられた。
鍵は忌々しげに舌打ちをする。目潰し効果のある技を持つ敵だったのだ。一時的な失明とはいえ、まだ戦闘は続いている。何より、七代を襲った敵は未だ姿を見せていない。

「こいつは、私の失策ですね……」

噛み締めた唇から血の味がする。普段なら気の数と実際に見える穏人の数の差になど、すぐに気づいていただろうに。部屋に入った途端に意識が引き剥がされたことと、今までにないほどの穏人の数に引き摺られて、判断力を失ってしまった。その結果が――これだ。
七代に傷を負わせたのは、穏形の穏人だ。今も部屋のどこかで七代を狙っている。

どこだ……! 
意識の中で穏人の動きを探る。その時、視界の中で黒いものが揺らめいた。
引かれるようにそちらに意識を向けた途端、ギィ!と甲高い悲鳴が上がる。七代の腕が真っ直ぐに伸び、手にした長巻の切っ先が<何か>を傷つけていた。
呆然とする鍵は、すぐに七代の眼が淡い緑色に輝いているのに気づく。

「秘法眼、ですか……」

実際の光景を捉えることは今の七代にはできないが、秘法眼なら穏形の敵を捉えることが可能だ。
しかし、すぐにその光は七代の眼から消え失せてしまった。

「しまった! 花札の力を使い過ぎたのじゃな。秘法眼もこれでは満足に使えまい……」

七代の顔を覗き込んで、白が沈痛な声を上げる。絶望的な状況に、鍵も己の唇を噛む力を知らず強めた。ぷつっという鈍い音がして口内に鉄の味がより強く広がるのと同時に、その声は響いた。

「大丈夫だ」

凛とした声だった。白が驚いたように後ろに下がり、主の顔を真正面から見つめる。その羽が大きく震えたように鍵には感じられた。

「千馗、其方……!」
「鍵さん。今、敵はどっちの方角にいる?」

目を閉じたまま顔を上げて、七代は淀みのない声で問うた。少しの不安も感じさせない、耳に心地よい声だ。
促されるまま気を探り、七代の右から近づいている存在を告げる。
手にした武器を構えたまま、七代は小さく唇を動かしている。徐々に穏人が距離を詰める。白は動かない。鍵もまるで縛されたかのように息を呑んで、七代を見つめている。
すぐ傍まで距離を詰め、穏人が七代へと牙を剥く。悪意が膨れ上がり、鍵が思わず声を上げかけたその時。

「ギィヤァァァァァァァァァッッ!」

空間を引き裂くように響いたのは、七代ではなく異形の悲鳴だった。
青白い光を放ち、七代が振り下ろした長巻に真っ二つにされた穏人が、全身を痙攣させながら消えていく。
悲鳴と声が闇に吸い込まれるように消え、沈黙がその場を支配した途端――。

「千馗!」
「坊!」

七代は今度こそバランスを崩して、その場に崩れ落ちていた。


つづきは本でお楽しみください。
戦闘シーンだけの抜粋ですみません。最後はもうちょっと甘くなります、たぶん。